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ホタルとこの人 

第一回 ◇◆◇ 荻野 (おぎの あきら)




「ゲンジボタルを中心に新たな生態研究のフィールド造りに取り組む 荻野昭氏」
(2011年5月5日 埼玉県日高市 巾着田にて 撮影 小俣軍平)
1942年 埼玉県日高市生まれ
1960年 埼玉県立豊岡高等学校卒業。東京の豊島昆虫館に就職、矢島稔氏と出逢う。
1962年 東京都立多摩動物公園に移り各種昆虫の飼育・展示に取り組む。
1972年 動物園昆虫館にて矢島方式と呼ばれるゲンジボタルの飼育場の設営に関わる。
1980年 日本国内の動物園としては初めて、ヘイケボタルの通年展示に成功する。

1985年 埼玉県吾野町立東吾野小学校(現在は、飯能市立東吾野小学校)にゲンジボタルの飼育施設を造り、その後現在まで25年間施設の運営と管理、児童の教育活動に携わる。

2002年 多摩動物園定年退職後、郷里の日高市 巾着田に市立の自然公園の建設計画が進行中で、この中でゲンジボタルの自然型の施設造りに取り組んでいる。そのかたわら各地のホタルの保護・保全の問題にも指導と援助に出かけている。
現在、日本ホタルの会理事、東京ホタル会議、陸生ホタル生態研究会会員

<著書・論文等> 
「カブトムシ−昆虫飼育日誌」学習研究社 
1975
「ホタル」偕成社 1980 共著
「日本産ホタル
10種の生態研究」板当沢ホタル調査団 1926のゲンジボタル・ヘイケボタルの項を執筆。その他 昆虫雑誌「インセクタリュウム」などにホタルの生態に関する研究論文多数発表

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●多摩動物公園昆虫館に造られたゲンジボタルの飼育施設(上)とその平面図(下)

水路の巾70cm、深さ50cm、全長80m。その基本的な考えは屋外に、できるだけ自然に近い小川をつくるということでした。(この写真と図版は、「ホタル」偕成社 1980 から引用させていただきました)

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●東吾野小学校の全景と校庭の一隅につくられた飼育施設とその内部写真(提供・蒔田和芳)



 東吾野小学校全景



 ゲンジボタルの飼育施設


 飼育施設の内部
 

 荻野昭さんに、都立多摩動物公園で初めてお会いしたのは今から34年前1976年のことでした。私は、当時八王子市内の新設小学校に勤務していました。この学校は市内を流れる浅川の支流、山田川の源流部を埋め立てて開設された、いわば環境破壊の見本のような小学校でした。

この年八王子市は、急増する人口対策として1年間に小・中学校合わせて12校を新設するという異常事態でした。汚濁した浅川は、夏には悪臭を放ち、人の心も自然も坂道を転げ落ちるように荒んでいきました。この現実を子ども達にどのように教えたらいいのか、将来にわたって希望を持って人生を歩んでいけるようにするにはどうしたらいいのか、これが新設校に赴任した教師達の最重要課題でした。教育課程の作成にあたり議論を重ねた結果、その取り組みの一つとして、校地内の更地700平方メ−トルに井戸を掘りました。木を植えて池を掘り、湿地と小さな流を造りました。茅葺き屋根の水車小屋も建てました。全て教師と子ども達の手作業による手作りの施設で完成までに10年かかりました。
 この施設の中にシンボルとしてゲンジボタルを飛ばせたいという学校を上げての願いを実現するために、荻野さんには、10年間にわたりご指導頂きました。その結果、小さな植物園に自然発生でゲンジボタルが飛ぶようになりました。
 荻野さんは静かな人で、意志の強固な不言実行型の研究者です。お世話になった私達の学校はほんの一例で、東京を中心に荻野さんが手がけてきた環境教育の施設は数え切れないほどあります。 (以上)